こんにちは。パラソラのnokoです。夫婦で仕事をしていると二人ともitouなので、今回から名前名乗っておきますね。出世魚のように子供の頃から呼ばれ方が変わってきたので(良いように捉え過ぎ)呼び方でいつの友達かわかるぐらいに同じ名前でもちゃんがついたりつかなかったり、間にッが入ったり入らなかったり。大人になってからはnokoさんって呼ばれることが多いので、自己申告はこれで行きます。どうぞよろしくお願いします。
久しぶりの更新は、前回の続き。もう忘れちゃってますか?
謎のねずみみいたな、クマみたいなデザインですね、下描きをしていたところでした。
今日の写真は型を彫り終えたところです。チラ見せで、まだ何かわからないでしょう?こけし?残念。ミイラでもありませんよ。いえいえ当てなくていいんです。クイズじゃないですから。
彫り終わった型は染める前に裏打ち作業というのがあるんですが、その時に彫ったパーツがばらけてしまったり、めくれてしまわないように繋いでおかないといけないんです。そこがそれ、テクニックなんですよね。どこにそのつなぎを作っておくか考えるわけです。最初の型は教えてもらいながら先生と一緒に作ったので自分で考えることもなくスイスイと進んだ作業が、1人でやるとなると、意味がよくわかってない混乱と心配性が、大事をとるとる。あっちにもこっちにも大事をとって繋ぐ繋ぐ。途中「あら?これもっと簡単な方法でよかったんじゃない?」なんて気がついた時にはあとちょっとで出来上がり。う〜む、たっぷりの無駄な努力詰め込みました。
傘作りもそうですが、最初の頃に作ったものを後で見ると、どうしてこうなっちゃたの?ってツッコミを入れたくなるような今では思いつかないような遠回りがそこかしこにしてあったりするんですよね。それが後から見ると大笑いできる。でも憎めないというか、考えたんだなぁと思えるというか。ほんの少し前の未熟な自分が愛おしい。この写真も、すでに今の時点で、なんでこうした?って自分にツッコミ入れられるほど笑える状態に成長してるところは救いですね。もちろん職人さんはもう一つ上の目線から、「おいおい、そこか?」ってツッコミどころ見てるかもしれませんけどね。(*´-`)
モノづくりにはこの無駄な努力と遠回り、絶対に必要なんだと思っています。もちろんこの仕事に関してだけ言えばただの遠回り。ベテランさんだったらどれ程時間を短縮できたことか。でもこうした無駄な努力や遠回りしてきた積み重ねの中にこれから出くわす山や壁を乗り越えるヒントがあると思っています。一件関係ない引き出しの中に解決策が隠れているんですよね。丁度今お預かり中のお仕事も、そこら中の引き出しを開けて探しながら作っているところなので、無駄なことなんて本当は1つもないなぁと実感しているところなんです。時には新しいアイデアが閃いたりするのも引き出しあってのことですよね。
ということで、この後は型の仕上げです。そして染めへ。まだまだ日傘まで先が長いですねぇ〜。